もう広く知られ、よく使われている「カウンセリング」という言葉。
みなさんはどんなイメージを持っていますか?
「白衣を着た精神科の先生がクリップポードと持っていて・・・」というのは昔の私が持っていたイメージです笑

日本での精神科体験
20代の頃、当時のパートナーが重度のストレスに苦しんでいた時期がありました。思い切ってカウンセリングを受けてみたら、とやっと探しあてた近くの精神科に連れて行ったことがあります。
でも、そのクリニックから出てきた私たちは後悔でいっぱいでした。

先生は男性で確かに白衣を着ていて、冷たい雰囲気と話を聞く前から勝手に「鬱」前提で話をし始めたことだけ覚えています。
彼はその時点で完全に拒否反応を示していました。ずっと言えずにいたことを、思い切って打ち明けたのに、理解も誠意も感じられない対応。
話も聞かずに一方的にレクチャーされた、そんな気持ちでした。本人はとても悔しくて、辛かったと思います。
私も自己嫌悪でいっぱいでした。私のせいだ、と。
もう10数年以上も前の話ですが、これが私の人生で最初で最後の日本での精神科体験です。

初めてのカウンセリング
一方、イギリスにきて、私自信が初めて受けることになったカウンセリングは電話越しでした。
まず状況をヒヤリングして、そこから治療が必要であれば適切なセラピストを紹介する、というプロセス。
申し込みと一緒に事前アンケートを提出して、予約の時間になったら電話がくる仕組みです。
早いことに越したことはないと、空きがある日時で一番近い日で申し込みました。

その日は勤務時間だったので車の中でひとり、カウンセラーからの電話を待つことに。
ドキドキしながら、手が冷たくなってきて、緊張で少し震えながら待っていましたがなかなか電話がなりません・・・。
待ち続けて約20分ほどした頃、ついに電話が!
しかし・・・
どうやらカウンセラーさんが急病で日程を変更できないか、という電話。かなり拍子抜けしたのを覚えています。
そんな訳で仕切り直し。
翌週金曜日に再予約です。この日は仕事が休みで自宅のキッチンで電話を受けました。
穏やかな口調で、やや低めのトーンの声のカウンセラーさんに少しずつ安心感を覚え、誰にも正直に打ち明けられなかった気持ちと一緒に涙があふれてきました。
1時間半ほどだったと思います。静かに優しく私の話を聞いてくれたカウンセラーさん。

自分のペースでゆっくりと話せてこの人で良かった、と思えるセッションでした。

自分の話をするのが苦手な上、誰かの話を遮るのが嫌いなため、大抵聞く側にいる私。ため込んでいたものが解放され、大きな一歩を踏み出した、そんな誇らしい気持ちでいっぱいでした。


カウンセリングとは
話すうちに自分の気持ちを再認識して、何が苦しいのか、それをどうしたいのか、ただただ私のためだけに時間を費やしてくれたカウンセラー。
今思うと、聞いてもらいながらその時点で自然と前に進み始めていたんだな、と思います。

自分の中で「こうしたい」ということは往々にして決まっていることが多いと思うんです。
でも、メンタルブロックがかかっていたり、変わることに対する不安、または過去の経験がネガティブに作用して前に進めない。
霧がかかったように見えなくなってしまった状態もあるかもしれない。
そんな時に誰かと話すことでごちゃごちゃになっていた気持ちが整理されること、ありますよね。
カウンセリングって、そういうものなんです。

カウンセラーはあくまでも受動的に話を聞いて気づきを促しながら寄り添うのが役目で、
答えを出してあげることやアドバイスをすることではないんですよね。

例えると、自転車の補助輪のような存在。
はじめは1人では乗れない自転車。グラグラして怖い・・・。転んでしまうかもしれない、止まれなかったらどうしよう・・・。
そこにカウンセラーが寄り添ってサポートする。
そのサポートを受けながら、行きたい方向へ、自分のペースでこいで行く。
そして補助輪はいずれ外れる時が来る。

必要な時にただ寄り添って、一緒に前に進む存在。

引っ張る必要も、引っ張られる必要もないんですよね。だってみんな進みたい方向は本当はわかっているのだから。

不安だな、もうどうしていいのかわからない・・・。疲れた・・・。
そんなときには我慢せずに補助輪をつけて、ゆっくり前に進みましょう。